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次はウクライナへ

 

「日本人は短期ならビザがなくても行けますよ」

とリトアニアの宿で出会った日本人に教わる。

あらま、そうなんですか。完全にノーマークだった

ウクライナ。それはどこらへん?と地図で確認。

 

おぉ、これから行くポーランドの隣ね。

じゃあついでだからポーランドから行ってみるか。

 

ウクライナ旅行に向けて

ワルシャワとクラコフの大型書店でガイドブック

ロンリープラネットのウクライナを探すも、なんと

ポーランド語のガイドブックしかなかった。

 

ポーランド語人口の多さからか、ガイドブック売り場

には、ポーランド語の本ばかり。

フィンランドでもバルト三国でも、大きな書店には

必ずロンリープラネットくらいはあったのに。

 

 

諦めきれず、宿にポスターが貼ってあった

英語の新書も古本も扱うお店へ願いを込めて向かう。

 

 

細い路地の角にある本屋兼カフェに、

道端などで何人かに尋ねた末にようやく到着。

 

どうかロンプラのウクライナがありますように…

 

すると1冊は新しく、1冊は古本であるとのこと!

もちろん古本で十分!!
28ズウォティ(約870円)で購入

 

 

良かった良かった。 

 

ここクラコフからの交通手段としては

     鉄道 1日2便 140ズウォティ~

     夜行バス 1日1便 90ズウォティ

これらを中央駅のチケット売り場と

バスターミナルのインフォメーションで確認。

 

よし、6日に夜行バスでウクライナへ行くか。

 

鉄道のスケジュール・値段の聞き込みの際には

国際線のチケット売り場の人は英語が通じたが、

誤って在来線のチケット売り場に行ったときには

英語が通じない上に「中央駅へ行って」と冷たく

ポーランド語で言われる。

 

欧州人にピシャリとものを言われると、

なんか冷たい感じがする。

お客なんだから、少しは丁寧に対応なさいよ、

なんて日本人的感覚なんだろうな。

 

フィンランド以降訪れた国々の滞在日数はそれぞれ

1週間以内で、それぞれの国の言葉でお礼と挨拶

くらいは覚えた(もう大半は忘れた)。少し英語が

話せればあまり問題なく旅ができる国々だった。

 

しかしポーランドではチケット売り場で度々困り、

チケットを買う時には紙にポーランド語を書いて

差し出すといった工夫をし始めたら、楽になった。

 

これから行くウクライナでは、

キリル文字を書かねばならなくなるのだろうか。

 

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アウシュビッツとビルケナウ強制収容所

 

第2次世界大戦が始まりポーランドがナチス・ドイツ

の支配下におかれていた1940年、この収容所は

ポーランド人政治犯を収容するために設立された。

当初はポーランド人虐殺の場として利用する予定で

あったが、時間が経つとともにナチスは全ヨーロッパ

の人間、主にそれぞれの国籍をもったユダヤ人、

ジプシーとソ連軍の捕虜をここに送り始め、1942

からヨーロッパにおけるユダヤ人の最も大規模な

絶滅センターとなった。

さらに様々な宗教・政治思想の人、捕虜と一般市民、

精神障害者・身体障害者、同性愛者、強制退去させた

町や村の住民、人種として絶滅させる予定だった

人々を送り込んだ。

死を宣告されたユダヤ人のほとんどはここへ到着して

すぐにガス室へ送られ、殺されたという。

 

収容された人々は監禁され、飢えや重労働、
医学実験、
死刑執行により多くの人命が奪われた。

 

ここで殺された人々の数は、28の民族、150万人を

上回るといわれている。

 

人類の負の世界遺産、ここは必ず訪れてみたかった。

 

アウシュビッツ収容所正門

ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)

囚人たちは毎日この門をくぐって重労働に出かけた。

十分な食事を与えられず、非常に不衛生な環境で

生活させられ、さらに重労働を課せられる。

労働力として認められ収容されても、

生き地獄のような日々だったに違いない。

 

 

収容所を取り囲む電気が通っていた有刺鉄線

収容者の中には、これで自殺する者もいた。

 

 

アウシュビッツ収容所内には28棟の囚人棟があり、

最大で28千人も収容されていたという。

 

 

点呼のときには、たとえ氷点下40℃だろうとも

全員が揃うまで何時間も屋外で待たされたという。

そんな点呼の際にも命を落とす人が少なくなかった。

 

 

10と第11棟の間の「死の壁」。ここでは

約数千人の囚人(主にポーランド人)が銃殺された。

 

 

左側の第10棟の窓に付けてある木の板は、そこで
行われていた死刑執行を見られないための措置。

 

 

11棟の地下の監房18号室では、

戦前に日本へ布教に来たことがあるポーランド人の

コルベ神父が、餓死刑を言い渡された囚人の
身代わり
となって殺された場所。

「死の壁」にもここにも多くの花が供えられていた。

 

 

ビルケナウ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所から約2km離れた場所
ある、面積は1.4平方㎞の大規模な強制収容所。

1941年に建設が開始され、
1945年にソ連軍によって
解放されるまでに
数百万人の命が奪われたという。

 

 

木造の囚人棟の内部

この狭い空間に押し込められて生活していた。

夏は暑く、冬は外と変わらず氷点下40℃にも

なったという。

劣悪な衛生環境なのは言うまでもない。
栄養失調に加えて
下痢、伝染病、疥癬が蔓延し、
ネズミやハエなどが
大量に発生し、
とても人が生活する場ではなかった。

 

 

ソ連軍によって解放される前にナチスの親衛隊
により
犯罪の跡を消すために爆破された
焼却炉とガス室。

 

 

殺された囚人たちの焼却は、囚人たちによって

昼夜問わず行われていたという。

 

 

ビルケナウ強制収容所への鉄道の引込み線

 

ここに入って来て生きて出られた人は、ごく僅か。


 

非常に辛く哀しい事実を聞き、

またその現場を見ることとなったが、

ここを訪れることで色々なことを知る・考える
きっかけとなり、本当に良かったと思う。

ショパン生誕200年

 

「ピアノの詩人」と称され世界的に有名な作曲家

ショパンは、ポーランドのワルシャワ出身。

ショパンの誕生日は、

1810年2月22日か3月1日かで

専門家の間でも意見が分かれているそうだ。

 

それはさておき生誕200年に向けて全面改装を終え

3月1日に再オープンしたばかりのショパン博物館へ

行ってみた。

 

再開の式典時にズドロエフスキ文化相は

「世界で最も現代的な博物館に生まれ変わった」と

挨拶されたとのこと。

 

確かに、とても現代的。

 

まず、入場チケットの代わりに紐がついたカードを

渡される。「これを首からぶら下げておくだけか」

と思いきや、カードを入場時にかざす機器がある。

(SuicaとかPasmoみたいに)

 

そして多くの展示物横にも機器が設置されており、

そのカードをかざすことで画面上の解説が読めたり、

ヘッドフォンから音楽が流れ始めたりする。

 

 

なんて仕組みだ!!

 

これはガラス張りの半個室のようなスペースで、

カードをかざすと天井のスピーカーから音楽が。

 

 

音楽が聴こえてこないヘッドフォンもかなり多く

あったんだけども、何故だったんだろう。

あまりにデジタル化すると、逆に不便な気がする。

 

こんな風に使われていたピアノとか私物を単純に
展示してもらった方が
「ほぉ~」と見やすいけど。

 

 

39歳の若さで亡くなったショパンのデスマスク

 

 

場所は変わってしまうが、

聖十字架教会のこの石柱の下には

ショパンの心臓が埋め込まれている。

 

 

せっかく生誕200年にゆかりの地ワルシャワを

訪れることができたので、

「ショパンの演目のコンサートがあれば、

ぜひ行ってみたら?」と父に勧められた。

なるほど。ちょっと探してみるとするか。

 

これもGWを利用した「駆け抜け旅行者」には

できない、長期旅行者ならではの利点だなぁ。

Kさん、その節はありがとうございました。

 

ポーランドといえば

 

先月ロシアで大統領機が墜落し、大統領ご夫妻を

含めて96名全員が死亡したことは記憶に新しい。

 

30日、大統領官邸前を訪れてみた。

 

国旗などの旗は半旗が掲げられていて、

キャンドルや花が手向けられていた。

 

葬儀の様子を紹介するパネルも設置されていた。

 

葬儀はポーランドの古都クラクフで執り行われ、

15万人が参列したそうだ。

 

 

大統領機墜落現場を訪れる双子の兄、
ヤロスワフ・カチンスキ



2006
77日に首相となり、大統領が弟レフの

「双子政権」が誕生し、翌年1126日まで続いた。

 

兄弟揃って政治家だったということを初めて知る。

 

 

ご冥福をお祈りします。

 

Rzeczpospolita Polska:ポーランド共和国

 

面積:322575平方キロメートル(日本の約4/5)

人口:約38115千人 首都:ワルシャワ

主な宗教:キリスト教(ローマ・カトリック)90

言語:ポーランド語

通貨:ズウォティ(zloty) zlotyは約31

 

4月30日()

朝6時、リトアニアのヴィリニュスから夜行バスで

ポーランドの首都、ワルシャワに到着した。

夜行バスといっても、座席はリクライニングしか

できない、2階建てのバス。

 

 

でも座席の間隔は普通の日本の長距離バスより広い。

ヨーロッパ人は足が長いから、ゆったり設計?

さらに(運賃が他のバスより高いので)乗客は少なく、

2席はゆったり使うことができた。

 

30日へと日付が変わる頃にポーランドの国境へ

到着し、バス内のライトが突然点灯した。

すると体格の良いお兄さんが乗り込んできて、

「パスポート」と次々と外国人のものをチェック。

2003年から使い始めている私のパスポートは

ほどほどにハンコが埋まっているので少し怪しいと

察知したらしく、2回はパラパラと確認していた。

 

いえ、決して怪しい者ではありません。確かに

今回のヨーロッパ入国時のハンコは探しにくいけど。

 

どうしてどの国の出入国管理の職員も適当な場所を

見つけては、乱暴にハンコを押してしまうのだろう。

私の印象では、日本で押されたのは見つけやすいから

職員が丁寧なんだと思う。やはり国民性か?

 

 

ポーランドに到着し、時計の時刻を1時間遅くした。



「さー、予約してある安宿へ向かおう。」

街の中心部まで朝っぱらから4~5km歩いた。

 

スターリンからの贈り物として1952年から4年も

かけて建てられた、ワルシャワ市内にそびえる高さ

234mの高層ビル、科学文化宮殿

 

 

「宿は文化科学宮殿の向こう側だ」と目指してきた。

目指す場所は見えているのに、なかなか着かない。

人口170万のワルシャワは大きな街だなぁ。

 

宿へ向かう途中で、面白い車を発見した。




なんだ、ドキっとしたな。よほどの日本警察好きか?

 

プロフィール

Chihiro

Author:Chihiro
約800日間の旅を終えてすぐ
2011年12月30日より今度は
ユーラシア大陸の旅へ。

家族や友人、多くの世話に
なった方々や、旅の間で
知り合った方々などへ

どこで何をしているのか、
安否確認のために立ち上げた
ブログです。

いつも温かく見守って下さり、
ありがとうございます。

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