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アウシュビッツとビルケナウ強制収容所

 

第2次世界大戦が始まりポーランドがナチス・ドイツ

の支配下におかれていた1940年、この収容所は

ポーランド人政治犯を収容するために設立された。

当初はポーランド人虐殺の場として利用する予定で

あったが、時間が経つとともにナチスは全ヨーロッパ

の人間、主にそれぞれの国籍をもったユダヤ人、

ジプシーとソ連軍の捕虜をここに送り始め、1942

からヨーロッパにおけるユダヤ人の最も大規模な

絶滅センターとなった。

さらに様々な宗教・政治思想の人、捕虜と一般市民、

精神障害者・身体障害者、同性愛者、強制退去させた

町や村の住民、人種として絶滅させる予定だった

人々を送り込んだ。

死を宣告されたユダヤ人のほとんどはここへ到着して

すぐにガス室へ送られ、殺されたという。

 

収容された人々は監禁され、飢えや重労働、
医学実験、
死刑執行により多くの人命が奪われた。

 

ここで殺された人々の数は、28の民族、150万人を

上回るといわれている。

 

人類の負の世界遺産、ここは必ず訪れてみたかった。

 

アウシュビッツ収容所正門

ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)

囚人たちは毎日この門をくぐって重労働に出かけた。

十分な食事を与えられず、非常に不衛生な環境で

生活させられ、さらに重労働を課せられる。

労働力として認められ収容されても、

生き地獄のような日々だったに違いない。

 

 

収容所を取り囲む電気が通っていた有刺鉄線

収容者の中には、これで自殺する者もいた。

 

 

アウシュビッツ収容所内には28棟の囚人棟があり、

最大で28千人も収容されていたという。

 

 

点呼のときには、たとえ氷点下40℃だろうとも

全員が揃うまで何時間も屋外で待たされたという。

そんな点呼の際にも命を落とす人が少なくなかった。

 

 

10と第11棟の間の「死の壁」。ここでは

約数千人の囚人(主にポーランド人)が銃殺された。

 

 

左側の第10棟の窓に付けてある木の板は、そこで
行われていた死刑執行を見られないための措置。

 

 

11棟の地下の監房18号室では、

戦前に日本へ布教に来たことがあるポーランド人の

コルベ神父が、餓死刑を言い渡された囚人の
身代わり
となって殺された場所。

「死の壁」にもここにも多くの花が供えられていた。

 

 

ビルケナウ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所から約2km離れた場所
ある、面積は1.4平方㎞の大規模な強制収容所。

1941年に建設が開始され、
1945年にソ連軍によって
解放されるまでに
数百万人の命が奪われたという。

 

 

木造の囚人棟の内部

この狭い空間に押し込められて生活していた。

夏は暑く、冬は外と変わらず氷点下40℃にも

なったという。

劣悪な衛生環境なのは言うまでもない。
栄養失調に加えて
下痢、伝染病、疥癬が蔓延し、
ネズミやハエなどが
大量に発生し、
とても人が生活する場ではなかった。

 

 

ソ連軍によって解放される前にナチスの親衛隊
により
犯罪の跡を消すために爆破された
焼却炉とガス室。

 

 

殺された囚人たちの焼却は、囚人たちによって

昼夜問わず行われていたという。

 

 

ビルケナウ強制収容所への鉄道の引込み線

 

ここに入って来て生きて出られた人は、ごく僅か。


 

非常に辛く哀しい事実を聞き、

またその現場を見ることとなったが、

ここを訪れることで色々なことを知る・考える
きっかけとなり、本当に良かったと思う。

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プロフィール

Chihiro

Author:Chihiro
約800日間の旅を終えてすぐ
2011年12月30日より今度は
ユーラシア大陸の旅へ。

家族や友人、多くの世話に
なった方々や、旅の間で
知り合った方々などへ

どこで何をしているのか、
安否確認のために立ち上げた
ブログです。

いつも温かく見守って下さり、
ありがとうございます。

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